仏教における「第一の矢」と「第二の矢」とは?

​おはようございます。
心理セラピストの
おおのたかゆきです。


今日は仏教の思想にある「第一の矢」と「第二の矢」といったお話をしようと思います。


僕自身、仏教に精通してるわけでもなく、この逸話自体色んなバリエーションがあるので、細かい説明は控えておきますが、ざっくり要点をまとめると以下のようなお話です。


ある時、一人の弟子がお釈迦様に

「悟りを開いた者とそうでのない者の違いは何ですか?」

と尋ねたところ、お釈迦様は

『「第一の矢」は受けるが、「第二の矢」は受けない』

と答えたというお話。


これはどういう意味かというと、たとえ悟りを開いた者でも人間である以上、病気をしたり、嫌な出来事に遭遇することはある。(=第一の矢は受ける)


しかし、それによって苦悩することはない。(=第二の矢は受けない)


という意味で、つまり、「第一の矢」「第二の矢」とは
 

  • 第一の矢
    →病気、嫌な出来事、他人など(自分ではコントロールできないもの)
     
  • 第二の矢
    →自分の心が作り出した「解釈」(自分でコントロールできるもの)


という意味になります。


この考え方は現在の心理学においてもかなり的を得ている考え方で、実は悩み・生きづらさというのは、この「第二の矢」によってもたらされていることがほとんどです。


例えば、『人から批判されてひどく傷ついた』というケースで考えてみましょう。


この場合、「人から批判される」のは「第一の矢」です。


しかし、「傷ついた」というのは、実は「第二の矢」によるものなんです。


もし仮に人から批判されてもその批判を何とも思わなければ人は傷ついたりしません。


人からの批判に対して、
 

  • やっぱりそうなんだ…と「同意」したり
  • 批判を受けるなんて情けないと「自責」したり
  • 批判を人格否定のように「解釈」したり


実は無意識に「第二の矢」を受けてしまっているから人は傷つくんです。


しかし、「第一の矢」はどうにもならなくても「第二の矢」なら自分の意思で変える事ができます。


ですので、まずは日々の出来事において「第一の矢」と「第二の矢」を区別することを意識すること。


そして、自分の心の中ではどんな「第二の矢」が自分に向けられているのか?


そこを理解することが、日々の悩み・生きづらさを軽減することに繋がると思います(^^)


ちなみに、この「第二の矢」を生み出している根本原因こそが僕が普段からお伝えしている『ビリーフ』です。


だからビリーフを書き換えれば、第二の矢を受けにくくなるので悩み・生きづらさが解消するという言い方もできるんですね。​​


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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


心理セラピスト おおのたかゆき