こんにちは。
心理セラピストの
大野貴之です。
僕たち人間には「共感」する力が備わっています。
おかげで相手の気持ちを察したり、相手を思いやることができるので、「共感」はとても大切な力の一つですよね。
でもこの「共感」、本来相手を思いやるためのものだったはずなのに、いつの間にかやって当たり前だと思われたり、ひどい時は共感するのが義務のようになっていませんか?
その結果、無理に共感しようとしたり過度に共感してしまって、苦しくなったり自分を見失ってしまってしまう人も…
今日はそんな「共感」について伝えたいことをまとめました。
- 共感しなければいけないと思っている人
- 共感しすぎて苦しくなっている人
はぜひ最後までごらんください。
共感しすぎて自分を失っていないか?
僕は共感すること自体はとても素晴らしいことだと思っています。
人に共感できるからこそ相手を思いやれるし、誰かと一緒に笑ったり、泣いたりできるのも共感のおかげですよね。
ですが、いつの間にか日本では「共感することが正しい/共感しないことは悪い」といった思いがかなり強くなっている気がします。
元々は自発的なものだったはずの共感や思いやりがいつの間にか義務のようになって、暗黙的に相手に共感を強要するような場面もちらほら。
それがおもてなしの心や礼儀正しさという日本人ならではの強みを生み出している一方で、「共感して当然」といった見えない重圧から過度な共感をしてしまい、自分を失っている人も少なくありません。
共感や思いやりはもちろん大事ですが、相手を思いやることと自分を犠牲にすることは全くの別物だと忘れないでくださいね。
「共感」ではなく「理解」を目指す
共感しすぎて自分を失ってしまう人は、
- 共感しなければ”いけない”と思っている
- 本当は共感できない人にも共感しようとしている
- 「共感しない=思いやりがない」だと思っている
などの思い込みを持っているケースが非常に多い。
ですが、さっきも言ったように自分を犠牲にしてまで共感する必要はありませんし、共感しないからといって思いやりがないわけでもありません。
例えば僕のようなコーチ・カウンセラーにとって、クライアントへの「共感」は非常に大切な要素ですが、僕らも人間なので、どうしても共感できない相手ってやっぱりいます。
僕の場合だと、暴力で人を傷つけたり犯罪を犯してしまうような人の気持ちは残念ながらあまり共感できません。
でも「共感できない」だけで終わらしていてはコーチ・カウンセラーは務まらないんですよね。
ではそんな時どうするのか?といった話ですが、どうしても共感できないような相手には「共感」ではなく「理解」しようとします。
例えば暴力や犯罪はもちろん許されることではないけど、そんな行動を取ってしまった背景や何かしらの想いは必ずあるはず。
そして、同じ人間である以上、もし自分が全く同じ状況に陥った時に同じ行動をしない保障なんてないんです。
そんな風に相手を「理解」することは相手を思いやることでもあると思いませんか?
僕はこの考え方は、コーチ・カウンセラーに限らず全ての人に持っておいて欲しいなと思うんです。
他人だけでなく自分にも思いやりを
共感しすぎて苦しくなったり自分を見失ったりしてしまう人はやっぱり優しい人が多いです。
そうやって相手を思いやろうとする気持ちはとても素晴らしいものなので大事にしてほしいなと思います。
ただ、あなた自身も他の人と同じように大切な一人の人間だということを忘れないでくださいね。
せっかく元々他人に共感する力や思いやる強い気持ちを持っているのなら、その気持ちを他人だけでなく自分にも少し向けてみると良いんじゃないかなと思います。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。